鈴木よね、夫岩次郎の死後も事業拡大。金子直吉を抜擢!

鈴木よねについて

鈴木よねは嘉永5年(1852年)に現在の姫路市に生まれる。

 

父親は漆塗りの職人であったことから、その仕事のつながりのあった家に嫁ぐことになるがほどなく離婚。

 

原因は、家と家との間に確執が生じたためとされている。

 

 

鈴木よねと岩次郎の結婚

そんな鈴木よねも再婚をすることになるが、その相手が神戸で両替商を営んでいた鈴木岩次郎。

 

 

よねが当時26歳の時。

 

 

鈴木岩次郎は天保12年(1841年)に武蔵国川越で足軽の次男として生まれる。

 

 

養子に出された菓子商の丁稚となり、その後は長崎へでて、神戸に移り、大阪の砂糖商に勤める、という経歴。

 

 

鈴木岩次郎があまりにも熱心に働くことから、その働きぶりが認められて、のれん分けを許されることになり、神戸に自分のお店である鈴木商店を開業するに至る。

 

 

鈴木岩次郎は商才をだんだんと発揮するようになり、神戸の商工会議所でも鈴木岩次郎の存在は高まっていく。

 

 

妻の鈴木よねはそんな懸命に働く夫の姿を背後から見ていたが、鈴木商店が伸び盛りのなか、岩次郎は52歳の若さで他界。

よねはこのとき47歳だった。

 

 

鈴木よねと金子直吉

鈴木岩次郎が他界しあと、その親族関係者は、事業の分配金も期待する動きもあったため、鈴木商店の廃業もよねに勧めていたが、鈴木よねとしては夫が抱いていた事業の拡大という夢を果たしたい気持ちがあり、番頭だった金子直吉の手腕を見込んで、鈴木商店の経営を継続していく事を決意する。

 

 

金子直吉は経営判断について失敗することもよくあったが、よねはそれを温かく見守っていた。

 

そんな鈴木よねの姿もあり、金子直吉は徐々に経営手腕を発揮し、第一次世界大戦中には、三菱、三井の財閥を抜いて、鈴木商店は日本一の総合商社へと発展することになる。

 

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