会津討伐で石田三成は挙兵!徳川家康の陰謀にまんまとハマる!

samurai

会津討伐と石田三成

豊臣秀吉の死後、5大老の一人として天下人を地位を狙っていた徳川家康。

 

 

豊臣秀吉との生前の約束事を次から次へと破り始めました。

 

 

まだ幼い秀頼(豊臣秀吉の息子)を助け、豊臣家を守っていこうとしていた石田三成らの豊臣支持大名たちは、この徳川家康の振る舞いに反感を持ち始めていました。

 

 

そして、真っ先に家康に対して、反旗をひるがえしたのが会津討伐の対象となった上杉景勝(うえすぎかげかつ)

 

 

会津討伐で徳川家康は石田三成の挙兵を誘う!

徳川家康は会津討伐(上杉景勝討伐)のために、全国の大名たちに自分の軍勢に参加するように呼びかけ、大阪をでて東へ向かうことになります。

 

 

しかし、徳川家康の軍勢はこの時異様な程にその進軍が遅かったことが歴史的にも記録されています。

 

 

まるで戦う意思がないかのような軍勢の引き連れ方をしていたんですね。

 

 

それには狙いがあって、大阪にいる石田三成に挙兵させるために、徳川家康はただ大阪をでるためだけに会津討伐を言い出したにすぎなかったのです。

 

 

徳川家康は、豊臣支持派の大名である上杉景勝を討伐するために大阪をでれば、石田三成は必ず自分を討伐するために挙兵するだろう、という狙いがあったというわけです。

 

 

石田三成は徳川家康に心の内を完全に読まれていた、といってもいいでしょうね。

 

 

徳川家康が大阪にいた状態では、反家康の兵はあげにくい、だからこそわざと傍若無人な振る舞いによって、会津の上杉景勝を怒らせて、大阪を出る口実を作った。

 

 

そして、石田三成はまんまと挙兵をした。

 

 

これが会津討伐の狙いなんですね。

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